池袋暴走事故の被害者である松永さんに殺害予告メールを送ったのが14歳の女子中学生だったことに世間は大きなショックを受けている。
ニュースでも大きく取り上げられ、子どもたちに「ネットリテラシーを教えなければ」「やっていい事と悪い事を教えなければ」「SNSの使用を制限しなければ」という意見が多くみられる。
これらの意見はすべて、子どもが間違ったことをしないように大人がしつけ、制限を加えなければということだ。
けれど大事なことは、本人の判断でやっていい事と悪い事の区別がつき、正しい行動がとれるようになることだ。
大人が監視しないと正しい行動がとれないようではいつまでたっても自立できない。
また、正しい事を教え、しつけようとしてもその人との間に信頼関係がなければうまく伝わらないこともある。
大人でもよくある話だが、何を言うかではなく、誰が言うかで話を聞く気になったりならなかったりする。「あの人にだけは言われたくない」と思われているようでは、どんなに正しくしつけようと思っても聞くどころか、大きな反抗につながったりするかもしれない。
そもそも彼女は悩みを抱えていて、誰にも相談できずに事件を起こした。
周りに安心して話ができる人がいなかったという事ではないだろうか。
何か言うとすぐに怒られたり、説教をされたりしたのでは、安心して何でも話すことはできないだろう。
子どもから何でも相談してもらえる相手になるためには、どんなことを言われてもまずは黙って最後まで話を聴くという日々の態度がものをいう。大人はそこを反省する必要があるだろう。
もうひとつ、なぜ彼女は悲しみにくれる被害者遺族にあのようにひどい言葉を投げつけられたのか。人の痛みを感じる心が育ってない原因は何かと考えてみた。
思い当たることはたったひとつ。彼女自身が気持ちを大切にしてもらった経験が少なかったのではないかということ。
「相手を思いやりなさい」と言い聞かせるから思いやりのある子が育つわけではない。
十分に自分の気持ちを受け止めてもらい、思いやってもらった経験をたっぷりすることで思いやりの気持ちは育つ。
悲しかった時、くやしかった時、腹が立ったとき、情けなかった時、はずかしかった時、「それは、悲しかったね。くやしかったね。腹が立ったんだね。情けなかったんだね。はずかしかったんだね。」と言って受け止めてあげてほしい。
「そんなことくらいで泣かないの」「誰にでも起きることよ。そのうち忘れるから」「さあ、気持ちを切り替えて明るくいこう!」などといって子どもを励ましたつもりになっていないだろうか。
事件を起こす子は、一朝一夕に育つわけではない。毎日の積み重ねは5年後10年後に大きな違いをもたらす。
わが身をふりかえるいい機会にしようと、私は思った。
(文責:鶴田 明子)
この記事へのコメントはありません。