私は保護司を10年以上しています。
先月、福岡県中の保護司約700名が集う福岡県更生保護大会が開催され、私も何らかの表彰を受けることとなり、式典に参加して来ました。「何らかの」というのは、保護司は1期が2年で、何期か務めるとそれに応じて何らかの表彰を受けることになっているのです。
保護司は無償の国家公務員という立場で、活動に対しての費用弁償はありますが報酬はないので、表彰はせめてものご褒美なのだと聞いたことがあります。表彰式に参加して、改めて表彰のありがたさを感じ、式典について考えてみました。
日本は幼稚園でも入園式や卒園式があり卒園証書をもらうところもありますね。そのことで私は、子どもが幼い時に外国の人から驚かれ質問されたことがあります。どこの国の人だったかは覚えていませんが、「卒業証書というのは本人が努力してもらうものでしょ?幼稚園や小学校なんて努力なしに卒業するのに何で卒業証書がいるの?」と。
その時の私は答えに困ってしまいました。そして、「ああ、そうなのか?努力してもらうものねえ?」と証書の意味を改めて考えさせられました。
式典については国や地域によって違いがあり、それが「文化」というものなのでしょう。
個人的な感想を言えば、私は幼稚園の子どもにも卒園式を行い卒園証書を渡すことに大いに微笑ましさを感じ、継続されることを希望する者です。それは、大人から子どもたちへの最高のプレゼントだと思うからです。
式典というのは上の者が下の者に対して行うイメージかもしれません。表彰もそうで、上の者が下の者に授け 下の者は上の者から賜る、という感じかもしれません。そこに上下関係があるという事で、もしかしたら反発を感じる人もいるかもしれません。
しかし、何らかの権威あるものが下々の者に対する象徴というよりもは社会的認知として存在しているように思います。
ですから、幼稚園や小学校の卒業証書は、大人たちからの、子どもたちを社会の一員として認める形の現れ、ということです。大人たちから子どもたちへ「社会はあなたたちの存在を大歓迎しているよ」と呼びかけている感じがするのです。式の設定は大人の側からしかできませんから、大人たちから子どもたちへのプレゼントなのです。
式典を主催する側も参加する側も共に式典の意味を考え厳かに粛々と進められると、気が引き締まる思いがすることでしょう。
一方で、厳かな式典は忍耐を伴いますね。保護司の表彰式は丸2時間。壇上で受け取るのは代表者の方々ですが、それでも次々と大層な人数です。私たち座っている者も大変ですが、(つまり、殆どは私よりももっと年上のおじいちゃんおばあちゃんたちなわけで、椅子にじっと座っているその忍耐力たるや凄いなあと感心しました。)壇上で一人一人の名前を読み手渡す人はどんなに大変かと、本当に頭が下がる思いでした。
年が明ければ成人式もありますね。新成人たちが幼い子どもたちの見本となるよう、式典を厳かに進めていただきたいものだと思います。
(文責:野口 紀子)
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